神の子どもたちはみな踊る / 村上春樹
神の子どもたちはみな踊る
村上春樹
発行:2000年2月
最近本を読んでも内容を忘れてしまうので忘備録を書き留めていこう。
阪神淡路の震災をテーマに書かれた6篇の短編集。
読書を重ねれば重ねるほど、村上春樹の文章上手すぎワロタとなってしまう。
中学のときに読んだのだけれど、今回読んだら微塵も内容を覚えていなかった。
UFOが釧路に降りる
コーヒーは薄くて、味がなかった。コーヒーは実体としてではなく、記号としてそこにあった。
小村は声の大きなコメディアンが司会をするバラエティー番組を見ていた。ちっとも面白くなかったが、それが番組のせいなのか自分のせいなのか、小村には判断できなかった。
震災をきっかけに奥さんに出ていかれてしまう主人公。理由は「中身がない」から。
アイロンのある風景
月の光が海岸線を研ぎあげた刃物に変えていた。
家出をして自活を続ける青年女性と、焚き火に自信があるおじさんの話。
「私ってからっぽなんだよ」と肩で泣くシーンが印象的。『UFO~』でも描かれているけれど、自分の中にある虚空って割と普遍的に誰もが持っているテーマなのかもしれない。
神の子どもたちはみな踊る
とある宗教信者の母と、その息子(神の子とされている)の話
存在しないとされた実の父を追って辺鄙な土地に辿りつく。どうしようもないから闇夜に踊った。
一見すると短篇どうしに繋がりは無いのだけれど、1つ下の層で共有するテーマがあるのかもしれないなあと思う。人は人との繋がりの中で生きていて、それでも独立した何かを手にしたいというジレンマを抱えていて、みたいな。
タイランド
これから先、生きることだけに多くの力を割いてしまうと、うまく死ぬることができなくなります。
中年女性の医者がタイで休暇をとってひたすらプールで泳ぐ話。
震災をきっかけに、子どもを産めない身体という自分の中の「石」と向き合うことになる。
こちらもさっきのテーマに近い。憎む男のために地震さえ私が望んだことなのだ、というくだりは『カラマーゾフの兄弟』に共通するところがあるかも。
かえるくん、東京を救う
急に人外が出てくるシリーズ。
「かえるさん」と呼ぶと、指を立てて「かえるくん」と呼ぶよう修正させられるくだりが印象に残る。
「目に見えるものがほんとうのものとは限らない」、主人公をやたら高く買っているかえるくんが人知れず東京を震災から守る。
わけわかんない話だけれど、この作品だけ明確に「阪神淡路のさらに後に立ち上がる破滅」を描いているわけだ。いくらでも深読みはできるけれど、読書のスタンスとしてあまり好きではないなあ。
蜂蜜パイ
しかし淳平にも高槻の気持ちはわかった。小夜子が母親になってしまったのだ。それは淳平にとっても衝撃的な事実だった。人生の歯車がかちりという乾いた音を立ててひとつ前に進み、もう元には戻らないことが確認されたのだ。
この作品、世界で1番好きな短篇かもしれない。
人生の不可逆性を1番実感するのって、やっぱり人間関係の不可逆性を実感するときなんだよなあって。
そこに恋愛やら年月が加わって、短い篇の中にある壮大なスケールに感動してしまった。
これまでとは違う小説を書こう、と淳平は思う。夜が明けてあたりが明るくなり、その光の中で愛する人々をしっかりと抱きしめることを、誰かが夢見て待ちわびているような、そんな小説を。でも今はとりあえずここにいて、二人の女を護らなくてはならない。相手が誰であろうと、わけのわからない箱に入れさせたりはしない。たとえ空が落ちてきても、大地が音を立てて裂けても。
こんなにポジティブで明らかな結びに着地するのはあんまり村上春樹っぽくないのだけれど、それがとても僕の好みにハマった。
節目節目に読み返そうと思える短篇に出会えた、良い読書だった。
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