「時間がない」って言葉を使いたくない (#534)
「時間がない」とか「忙しい」って言葉は「自分は処理能力が低いうえに弱音を吐いてます」ってアピールにしかならない。時間こそ平等に与えられたものじゃないか。
……みたいな文言を中学生のときに何かで読んだ少年ミツハシは妙に感銘を受けて、以降10年以上「時間がない」に準ずる言葉を使わないで生きている。
(街頭アンケートを断るときは別として)
それは立派な心がけだね、どんな状況でも言い訳しないのは偉い!
……で済むのであればこの話は終わりなのだけれど、最近引っかかっていることがあるから話は終わらないのだ。
というのも、そもそも自分の人生で時間がなかったり忙しかったりしたことってないんすよね。本当に。
そりゃ卒論とか引っ越しとか予定が立て込むことはあるけれど、それで新作のゲームを我慢したり遊びの誘いを断ったりって記憶にないし、
そうならない限りは忙しいとジャッジされないんじゃないかと勝手に思っている。
これのおもしろいところは2通りの見方ができるところで、1つは言葉が認知をつくるってパターンで、もう1つは単純に人生が忙しくないってパターンなのだけれど、
前者の話は結構好きで、「時間がない」「忙しい」って言葉が手札にない僕はその状態を認知できないんじゃないかという仮説がある。
聞いた話だけれど、どっかの部族には青~緑の間を表す言葉がスゲーいっぱいあって、その色の違い(名前の違い)をみんな正確に識別できるらしい。
普通の人間にもそのポテンシャルはあるハズなのに、青~緑の間を表す語彙が少ないせいで色を認知する能力がそもそも言葉の数に縛られてしまっているとか。
古くは言霊、自己暗示ってジャンルもあるし、使う言葉には美学を持ちたいよね。
まあ僕の人生はよっぽど後者なんだけど。
だいたい忙しくなる前に逃げます。これまでもこれからも。
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