2021年の限界問題 (#551)
フランス・ラグビー連盟(FFR)は19日までに、心と体の性が一致しないトランスジェンダーの女性が同国の女子ラグビーでプレーするのを認める採決を全会一致で可決した。
(仏ラグビー連盟、国内女子ラグビーでのトランスジェンダーのプレー認める – CNN.co.jp)
僕たちが生きている2021年って当然歴史の中では最先端なのだけれど、最先端だからと言って完全な時代に生きているわけでは全然ない。
これからも続く歴史のなかで2021年の栞はまだまだ途中地点に挟まれていて、鋭意努力中って事象が少なくないなと感じる。
上に挙げたのは最近話題のLGBTの例で、心は女なら身体が男でも女子ラグビーでプレーして良いっていうルールなのだけれど、
いや、語弊を承知で言うけど、ホントかそれ。
別にLGBTに噛みつきたいとかじゃなくて、ただラグビーは危ないじゃんどう考えても。身体は男なんだから。
じゃあトランスジェンダーのラグビー選手はどこで活動するのがハッピーなのかって聞かれると答えられないけれど、答えられないけれど、
「身体が男ならラグビーは危なくない?」
が通らないのが昨今のリアルなんだろうなと想像している。
これこそ2021年が努力中の事象の1つだと思っていて、こういう「もっとあるだろ」っていうモヤモヤを総体して「2021年の限界」と勝手に名付けている。
逆に白人を起用しにくくなったり、クレベリンが売られていたり、人気の投稿動画がテレビの切り抜きだったり、
不寛容の時代性も相まってなんだかなあという気持ちになる話は多いけれど、それでも僕は別に悲観する必要もないんじゃないのって思ってもいる。
ただそれが「2021年の限界」だったというだけなのだ。
そしてこれからアップデートを繰り返していけばいい。
未来人は教科書でマウスシールドを見てウケているだろうけれど、2021年の僕たちもウケているから。
そう思うと案外ええじゃないか騒動とかも当時からウケていた可能性がある。1867年の限界を思うと前向きになれるね。
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