中国行きのスロウ・ボート / 村上春樹
中国行きのスロウ・ボート
村上春樹
発行:1983年
初期の村上春樹短篇集。
いわゆる「村上春樹らしさ」みたいなクセはやや薄め。
イマイチ主題が難解で掴めない作品もあるのだけれど、それが初期の粗さ故なのか村上春樹ってそういうものなのかはよく分からない。分からないんだ。
中国行きのスロウ・ボート
僕の放浪は地下鉄の車内やタクシーの後部座席で行われる。僕の冒険は歯科医の待合室や銀行の窓口で行われる。僕たちは何処にも行けるし、何処にも行けない。
今までに出会った中国人らの話。
バイトの後輩の女の子の話が印象的。見送りに乗せる電車を間違えて、さらに電話番号をメモしたマッチを捨ててしまってそれきりの女の子の話。
中国人にとっての東京も日本人にとっての「東京」も違いはないのかもしれない、みたいな。
来年から東京に住むのだけれどこういう暗澹たる東京みたいな話を聞かされるとゾクゾクしますね。
貧乏な叔母さんの話
背中に貧乏な叔母さんが居着いた話。シュール。
必要以上に脳を使って本を読まないのでこの短篇は本当にワケがわからないのだけれど、
こういう居ても居なくてもみたいな人っているよなあって思いました。はい次。
ニューヨーク炭鉱の悲劇
古い友人たちが立て続けに死んで、台風の動物園に通う謎の友人に喪服を何回も借りる話。
炭鉱で生き埋めになっている人たちのエピソードと絡めて何かしらテーマがあるっぽいのだけれど、如何せん抽象的にとっ散らかりすぎていてよく分からない。
ぶっちゃけ今のところの3作は全然好きじゃないし意味不明だ。
カンガルー通信
つまり、あなたの手紙は僕を性的に高揚させるんです。
デパートの管理係がクレームへの返答と雑談をカセットテープに吹き込んで送ってくる話。マジキチ。
村上作品特有の奇人が何らかの法に接触するであろう気持ち悪いムーブをかますシリーズ。
「大いなる不完全さ」と冠されたメッセージの中でとりとめのない(そして気持ちの悪い)話を続けるのだけれど、
結局は「中国行きの~」にも通ずるような、巨大な集団の中にある個の営みみたいなテーマなのではないでしょうか(適当)
午後の最後の芝生
芝刈りのアルバイトをしていた主人公が、最後の芝刈りをする話。
気の強そうなオバさんの亭主が遺した芝をいつも通り丁寧に刈る。彼女は酒を飲んでそれを眺め、そして主人公にも酒を勧める。
乾杯しながら、オバさんの娘と主人公の別れてしまった彼女、それを重ねるような話、こうして最後の芝生の記憶は終わる。
相変わらず何らかのメタファーがありそうで、でも難解で読み取れないというか、でもオバさんのキャラと夏の暑さの描写が良かったから好きな話だ。
土の中の彼女の小さな犬
仕事やら休暇やらを過ごそうと静かなホテルに来た主人公だったが、直前に彼女とは喧嘩し、ホテルでは雨続きのシチュエーション。
食堂や図書館で見かけた1人の女性と話すようになる。
職業癖から彼女に纏わるあれこれを言い当てる主人公と、その連想から昔飼っていた犬の話をする彼女。
この短篇集で1番好きな話だ。僕が村上作品で好きな要素である、時間がゆっくり流れるところ、知的な女性と抽象的な会話をするところ、なんかが詰まっている。
ロビーで話をしながら、主人公が言い当てた分のポイントを彼女がマッチで積み上げる描写がすごく好きだ。
シドニーのグリーン・ストリート
シドニーのスラムで私立探偵をしている主人公と、羊男と、羊博士。
おなじみ羊男シリーズ。こいつが出てくると大体どうでも良くなってしまう。
何らかの意味をもって毎回出てくるのかもしれないし、何の意味も無いのかもしれない。とにかく謎だし、正直そんなにおもしろくもない。
今回の羊男は人間が着ぐるみを着ているだけだったし、世界にたくさんいるらしい、ふーん。
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